呂后

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出生 現山東省単県(当時の楚?)
生誕 不明(紀元前200年代中盤ごろ)
身分 皇后

苦労人の良妻

 呂后は本名を呂雉といい地元の名士としての父親をもって生まれました。
 名士である父は近隣の沛という地方の県令(県知事)と親しい間柄で、その県令に招かれた呂一家のために県内の有力者を集め、歓迎の宴を開かれることとなります。その宴は祝儀の多寡により座敷に上がるものとそうでないものがわけられ、その額が千銭以上のものだけを正規の招待客として扱うこととなっていました。
 そこに劉邦という男が現れると一銭も持参していないというのに、奉加帳に一万銭と書き込み座敷へと上がり込みます。あまりの振る舞いに当然世話役が押し返そうとしますが、主賓である呂雉の父親はそれを制し、自分のそばへと座らせます。呂雉の父親は人相を見ることに長け、劉邦に並外れた相が出ていると読んだのです。そして宴が終わると、自分の娘をもらってくれと頼みました。
 当時の劉邦は亭長という宿場の管理と治安維持を仕事とするような、しがない役人でした。そして酒と女が大好きで、傍若無人に振る舞うのが常な人間でした。しかしなんとなくおおらかな雰囲気があり、妙に人を惹きつけるところがあったといいます。劉邦は居酒屋でいつも文無しで飲み続けてその場で眠ってしまうのですが、その劉邦が店にいる間はなぜか店が大繁盛するので、そのツケがいつもチャラになるという逸話もあります。

 こんな嫁ぎ先に名士としての立場を理解している奥さんは激怒しますが、父親は一切取り合わず二人はそのまま本当に結婚することとなりました。
 ですが妻をもらってもなお、劉邦は変わらず酒や女に興じる生活を送っていました。亭長の給料は安く、家計を支えるために呂雉は慣れない野良仕事や土木作業で、劉邦との間にもうけた魯元(ろげん)という娘と、盈(えい)という息子を苦労しながら育てていきました。

皇后としての苦労

 秦の始皇帝の逝去後、全国に秦打倒の反乱が相次ぎ、劉邦は地元で挙兵されたその反秦軍の首領として担がれました。そしてその勢力は拡大を続けその挙兵から7年後、なんと劉邦は中国を統一し皇帝となります。呂雉の父親の慧眼には恐れ入るところです。
 その皇帝となるまでの間も、呂雉は家を守り内助の功に尽くします。途中、敵である楚国の軍に捕らえられて、二年ほど捕虜として苦しんだ時期もありました。しかし今までの苦労もすべて劉邦が皇帝となったことで報われたのです。娘の魯元は皇女、息子の盈は太子となり、母としてはこの上ない喜びであったことでしょう。呂雉はこの時から呂后となりました。

 ですがその地位に就いたからといって妻として幸福であったかというと、それはまた別の話でした。劉邦は皇帝となっても女癖が一向に直らず、特に戚夫人(せきふじん)という側室にはどこへ行くのも同伴させるなど、格別の寵愛を与えていました。対して呂后は女性としての魅力が薄れてくる年齢となり、いつも留守にさせられていました。そうすると劉邦と会うこと自体も少なくなり、ますます疎遠となっていきます。
 呂后はこうした劉邦の女遊びの多くには目をつむり我慢するしかありませんでしたが、この戚夫人(せきふじん)に対してだけはわけが違いました。戚夫人はその寵愛をいいことに、自身が産んだ如意という子を太子にしてほしいと懇願したのです。
 もともと劉邦は柔和で弱々しさのある盈を自分の跡継ぎとして考えた時に、あまりいい印象をもっていませんでした。対して戚夫人との子である如意はなかなか利発で、大物の片鱗を伺わせるところが劉邦としては建国間もない国を任せるのに好ましいところでした。しかし呂后としては我が子の盈が廃立させられるなど許せるわけがありません。この危機に際して呂后は劉邦を支え続けてきた軍師の張良を頼ると、その張良の知恵によってなんとか息子の地位を守りぬきました。

 これによって跡継ぎがしっかりと決まると後の憂いなく紀元前195年に劉邦は逝去し、盈が二代皇帝恵帝として即位しました。

人豚

 我が子が帝位につくと、呂后は権力を振るい始めるようになります。手始めに行ったことは、憎き戚夫人への復讐でした。劉邦が死んだ翌月、呂后は戚夫人に罪を着せ投獄します。坊主頭にし、ボロ着を与え、手足に枷をはめてひたすら奴隷のように扱い、四六時中石臼をひかせました。
 そして戚夫人の息子である如意を、殺すために都へと呼び寄せました。母の企みを察知していた恵帝は、実の兄弟のようにかわいがっていた如意を守るため常に一緒に行動するようにしました。しかしとある冷え込みの厳しい朝、恵帝はよく眠っている如意を起こすのがかわいそうになり、一人で狩りにへと出かけてしまいます。恵帝が見せそのた一瞬のスキを見逃さなかった呂后は、その狩りの最中に如意を毒殺しました。

 呂后は如意が悶え苦しんで死んだ様を、獄中の戚夫人に事細かに話します。そのことに嘆き悲しむ戚夫人を見ると、続いて呂后は宦官に命じて彼女を裸にさせ、両足を広げさせます。そしてむき出しになった陰部を指さし「これが先帝を迷わせた穴か」と言うなり強く踏みつけました。続いて数日後、凶悪な殺人犯を何人も連れ出してくると、代わる代わる強姦させます。その後、ぐったりとした戚夫人に劇薬を飲ませ声を出なくさせると、次いで手足を切り落とし、両目をえぐり、耳を硫黄で溶かし厠へと放り込みました。
 呂后は恵帝を呼び寄せると、「人豚がいますよ」と厠へ向かうよう指示します。恵帝はその人豚なるものが最初なんなのかわかりませんでしたが、人からそれが戚夫人の変わり果てた姿だということを知ると、衝撃で頭が悩乱し、寝込んでしまいました。恵帝はこれ以降政務に携わろうとせず、酒に身を任せる日々を送るようになると、その酒と心労が身体を蝕んだのか在位わずか7年、23歳の若さでこの世を去りました。

呂一族の専横

 恵帝が政務を放棄すると、呂后が代わって政治の全面へと顔を出すようになります。最初こそ劉邦の遺臣たちが呂后を支えようと努力しましたが、その政治にだんだんと独裁色が強くなってくると、次第に距離を置くようになります。そしてその遺臣たちの代わりに顔色を伺うことが得意なものが側近となり、その独裁色はさらに強くなっていきました。
 そして前述のとおり恵帝が若くして亡くなりましたが、その恵帝と張后の間には子供ができませんでした。張后は恵帝の姉の魯元の娘なので、恵帝と張后は叔父と姪の間柄でした。この二人の間に子供を作り、次の跡継ぎは呂一族の血が濃い皇帝が生まれることを期待したのですが、その計画は失敗に終わってしまったのです。しかし諦めきれない呂后は、恵帝と他の側室との間に生まれた子を張后との間に出来た子だと偽り、本当の母親は殺した上で少帝恭(きょう)として帝位につけました。

 こうして跡を継いだ少帝恭はまだ赤ん坊であるため、呂后が後見として政務を執り、この際に制と称しました。制とは皇帝の出す詔勅のことであり、制を称するということは自分の出すものはすべて皇帝が出した勅と同じであるということを意味します。すなわち、実質的な女帝となったのです。

 すべての権力を手に入れた呂后は、次に呂一族を王へと取り立てることにしました(皇帝という称号が作られた以降の中国では、皇帝の下に王がいる形になります)。劉邦はかつて「劉一族でないものが王となったならば、これを討て」と遺しましたが、呂后はそれに堂々と反したのです。呂后は任命の際に劉邦時代からの重臣たちにも諮問をしましたが、反乱分子とされることを恐れた重臣たちは、心では憤慨していたものの表面上は快く認めました。
 呂后は周囲の了解が得られると、王に取り立てられていた劉一族は呂后に次々と殺され、その後釜には呂一族が座っていきました。

 やがて幼かった少帝恭は即位4年目にして物心をつくようになってくると、自身の生母が呂太后に殺されたことを知ります。少帝恭はその幼さゆえに「呂后は親の仇だ、いつかは恨みを晴らしてやる」と口走ってしまいました。これを聞き知った呂后はただちに少帝恭を幽閉し、重病にかかったことにして殺害をしました。次の皇帝にはこちらもまた幼い弘が少帝弘として立てられ、呂后の専横は続けられました。

死去、そして没落

 ある日、呂后は河のほとりで儀式を終えての帰り道、蒼い犬のような妖怪が呂后の腋をめがけて飛び込んできたかと思うと、すうっと消えていきました。するとその日からまもなく、妖怪が飛び込んだ腋のあたりが痛み始めたのです。
 何事かと占ってみると、戚夫人の子であった如意のたたりだと出ました。そのひと月後には大きな川が氾濫し、この天災も呂后の悪事によるたたりだと噂されるようになります。不吉な前兆とされる日食もあり、さしもの呂后も自分のしてきた罪を認めるような素振りを見せたといいます。
 そして犬の事件から4ヶ月後、呂后は生涯を終えました。享年は59歳とも62歳ともいわれます。

 呂后は臨終の間際に「呂一族が宰相として権力を掌握すること、呂一族の娘を少帝弘の皇后に立てること」など最期まで一族の安泰を望み、遠からず起こるであろう呂一族に対する謀反を抑えこむよう指示しました。
 その予測どおり呂后が逝去するや否や、劉邦時代から仕えてきた歴戦の忠臣たちが呂一族の排除を画策します。そして呂一族で軍権を握っている呂禄を信頼させ抱え込むと、その軍権ですかさずクーデターを起こしました。形成がどうなったかを察知した将兵たちは劉一族側へと加担し、呂一族はそのクーデターにより一人残らず一掃されました。呂后の死からわずか2ヶ月での出来事でした。


参考文献
森友幸照/『賢母・良妻 美女・悪女』/清流出版
森下賢一/『国を傾けた女たちの手くだ』/白水社
岳真也/『悪女たちの残酷史』/講談社
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