ラ・ヴォワザン

La_voisin

出生 フランス
生誕 1640年
身分 占い師、魔女

魔女としての能力

 ラ・ヴォワザンは本名をカトリーヌ・デエイ・ヴォワザンといい、突き刺すような鋭い目と、背が低くふくよかな容姿をもっていたといいます。表向きには産婆の看板を掲げて商売をしていました。もともとはお金持ちの宝石商の妻でしたが、タロットカードや占星術に興じるようになると、それを本業として客人の悩みを聞くようになります。
 彼女の母親は有名な魔法使いであり、オーストリア皇帝やイギリス国王までもがアドバイスを求めていたほどの人物でした。ヴォワザンはその魔力を受け継いたといいます。彼女は占いや手相人相を見る他に、媚薬や毒薬に避妊の薬草、催淫剤なども製造していました。媚薬で相手をたらしこみ、毒薬で遺産だけをいただくという手法はヴォワザンの得意技でした。
 彼女は毒薬を何百種にでも調合する術を知っていました。その調合と服用する量によって症状は変わり、即効性のものから遅効性者まで、調べる側もそのパターンの多さから彼女が毒薬の出処と突き止めることはできないのでした。

上流階級との接触と黒ミサ

 彼女は最初庶民から依頼人を探していましたが、評判が広まるに連れて上流階級や宮廷ともつながりを持つようになっていきます。彼女は富裕層では道徳的な節度はあまり問題にならず、伴侶や競争相手を消すことが可能となればどんな高い対価でも払うことを知っていました。
 当時のフランスはルイ14世が絶対王政を布いており、その王が愛人を持ち婚外で関係をもつのは当たり前のことでした。むしろ寵愛を受ければ一族の出世につながるため、結婚している夫も自ら妻を勧めるほどでした。

 そのルイ14世の愛人であるモンテスパン夫人はなんとかルイ14世の寵愛を受けようと、ライバルを黒ミサで蹴落とすことをヴォワザンに依頼します。その黒ミサは祈願者が儀式をしている間に別の呪術者が幼児を祭壇に供え、呪文とともに絞め殺し、その心臓をナイフで割いて杯を満たすというものでした。その犠牲が大きいほど効果が強いとされ、最初のうちは堕胎した遺体だけを使っていましたが、依頼が増えて足りなくなってくると娼婦の子を買い取ったり、子供をさらって儀式に使ったといいます。
 その効果はてきめんで、モンテスパン夫人はライバルを押しのけ寵愛を受けるようになり、その後もヴォワザンに依頼をするようになります。その評判から、侯爵夫人マリー・マンチーニ、リュクサンブール大公という上流階級の名士たちも利用するようになっていきました。

火あぶりの刑

 1679年、ヴォワザンは一味とともにパリ警察に逮捕されます。彼女が他の同業者と違ったところは、この犯罪を大規模に企業化し、毒薬の輸出まで手がけていたところでした。その結果、黒ミサの犠牲となった幼児は2000人ともいわれます。彼女が逮捕されたことを聞いた宮廷の人間は、いつ自身のことが白状されるかと気が気じゃありませんでした。
 ヴォワザンは単なる占い師だと容疑を否認していましたが、足を締め付ける拷問具や脊椎を引っ張る拷問具で責められると自身の罪の一切を白状しました。そして本来は国事犯を裁くための火刑裁判所をこの事件のために特別に開廷し、そこで最初に火刑に処されたのがヴォワザンとなりました。ヴォワザンは決して罪の赦しを乞おうとせず、護送車から降りる際も力の限り抵抗しました。針金で縛られて薪の山の上に坐らされ、ワラで周りを囲まれると彼女は周りの人間を大声で罵り、何度もワラを押しのけるなど、最期まで悪女の名ににふさわしい行動をとっていたといいます。
 そしてこの事件の追求がモンテスパン夫人へと及びそうになると、ルイ14世は火刑裁判所を閉廷し捜査を打ち切らせ、以降モンテスパン夫人を遠ざけたといいます。


参考文献
M.ニコラス/『世界の悪女たち』/社会思想社
森下賢一/『国を傾けた女たちの手くだ』/白水社
世界博学倶楽部/『世界の「美女と悪女」がよくわかる本』/PHP研究所
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