エリザベート・バートリ

Élisabeth_Báthory

出生 ハンガリー
生誕 1560年8月7日
身分 ハンガリーの名門貴族

名門の娘として

 エリザベートが生まれたバートリ家はあのハプスブルク家とも関係が深く、代々トランシルヴァニア公国の王をつとめ、叔父はポーランド王もいるという由緒正しい名門中の名門でした。エリザベートが幼いころからすでに由緒正しいナダスティ家に嫁ぐことが決まっており、11歳になると当時の慣習に従い姑となる予定の相手の婦人に預けられました。その姑は非常に厳しく、元来ワガママなエリザベートはたびたび逃げ出し、ナダスティ家の空気にも馴染めないまま孤独に過ごしていきます。

 彼女は育っていくにつれ美しさが際立つようになりましたが、その反面傲慢で女王然とした気質をもつようになりました。バートリ家は頻度の高い近親での縁組による遺伝的疾患があるといわれており、血縁には癇癪で死んだ人や狂気淫乱という痼疾をもちあわせた人間が多く、エリザベートもその一人だったと言えます。
 しかし結婚後の新居であるチェイテ城は古い文化が生き続けるような何もない田舎でした。夫も軍人であるため城にいないことのほうが多く、そして姑は変わらず口うるさく、しだいにエリザベートは自室にこもるようになります。自室の鏡の前で宝石や衣装を身につけるだけで過ぎていく日々。そんな生活からか、彼女のナルシシズムは異常なまでに発達していき、薬草や香油からはじまり魔女さながらに大鍋の中で液体を作るなど、若さと美容を保つための研究が唯一の生きがいとなっていきます。

血に対する渇望

 人間、それも若い処女の血に美容や若返りの効果があることは昔から言い伝えられており、錬金術や黒ミサなどの多くにその要素が見られます。

 ある日若いメイドがエリザベートの髪を梳かしていたところクシに絡まってしまい、それを誤って引っ張ってしまったことに激怒したエリザベートは髪留めでメイドの胸を何度も突き刺し心臓をえぐります。その返り血がかかった手を拭うと肌が輝いて見えたといいます。また、興奮してメイドの腕に噛み付いた際に噴きでた血を見て、快感を覚えたともいわれます。
 そんな言い伝えや経験にもとづいてか、いつからかチェイテ城の地下室は穀物庫から処刑部屋へと変貌していきます。エリザベートが44歳の時に夫が亡くなるころにはもうすでにメイドたちへの虐待や処刑は始まっていたといい、それは噂として流れはじめるようになります。しかし噂を知っていても貧乏な百姓たちは僅かな対価で喜んで娘を差し出しました。

鉄の処女

 エリザベートの拷問方法は爪の間にピンを刺し込む、針で口を縫う、裸のまま木に縛り付けて体中にアリやハエをたからせるといったものから、口の中に両手を入れて左右に力いっぱい引っ張って口を裂く、喉の奥まで焼けた火かき棒を突っ込むだと多岐に渡ります。他には内側に鉄のトゲを生やした巨大な鳥かごを吊るし中に娘をいれ、その娘を家僕が熱した火かき棒でつつくと、不安定に揺れる鳥かごの中で避けようとする娘に次々と鉄のトゲが刺さり血が流れ、それをエリザベートが下で浴びるというものもありました。
 中でも有名なのが鉄の処女と呼ばれる、人形を模した鋼鉄の拷問器具です。この人形は機械仕掛で動く精巧な人形で、ちゃんと歯や目も髪も動くように作られており本物の人間のようだったといいます。そして宝石で作られたボタンを押すと歯車が動き、両腕が上がると同時に胸の扉が開きます。そして抱え込むように動く両腕に抱きしめられた娘が、空洞である胸の中へと引き寄せられると扉が閉まり、扉の内側に生やしてある多数の刃で刺されて苦悶のうちに絶命するというものです。そして娘が流した血液は人形の体内から溝を通って、浴槽へと溜められます。そしてこの浴槽に入浴するのがエリザベートというわけです。しかし血糊ですぐに錆びてしまう上、すべて機械まかせで処刑が終わってしまう鉄の処女にはすぐ飽きてしまったといいます。
 城を出てウィーンの宿屋に止まった際も拷問は続けられ、「娘たちは裸になっていたが体中に血がこびりついて炭のように真っ黒だった」とは下男の言です。

600人の娘を殺した末路

 やがて民の娘では効果が薄いと思い、貴族の娘にまで手を出していきました。貴族の娘まで姿を消したとなれば噂はどんどん大きくなっていきます。死体も最初の頃こそ手厚く葬っていたものの、死者の数が膨大になってくるにつれ扱いは雑になりっていきます。そしてあるとき、死体の処理を面倒に思ったエリザベートは四人の娘の死体をそのまま城壁の外に放り投げてしまいます。それに気づいた村人たちが死体の身元を検めると、村から集められた娘ということがわかりました。弔いのたびに呼ばれるものの、その頻度があまりにも高いことを訝しんでいた神父はこの証拠を知ると中央政府に訴え出ます。
 そして捜査当局が城へと向かい地下室に降りて行くと、異様な臭気が立ち込めていました。そこには数々の拷問道具と前述のように真っ黒な木偶人形と化した死体や腐りかけの死体、そして虫の息でなんとか生きている娘もいました。この生き残った娘の証言では、食事が与えられずに殺された娘の肉を食うことを強要されたといいます。最終的に犠牲となった娘の数は600人とも700人ともいわれます。
 そしてエリザベートは裁判にかけられましたが、親族の嘆願と出自を鑑みたオーストリア皇帝のはからいにより、死刑を免れ終身禁錮刑となりました。チェイテ城の一室を窓と扉を埋め、食事を通す孔だけがあいている密室でエリザベートは残りの人生を過ごしました。閉められた井戸のように真っ暗な部屋で、自慢の白い肌を視認することもできないまま、エリザベートは三年後に死亡しました。享年54歳。その亡骸は白骨になるまで放置されたといいます。


参考文献
澁澤龍彦/『世界悪女物語』/文藝春秋
岳真也/『悪女たちの残酷史』/講談社
桐生操/『世界悪女大全』/文藝春秋
世界博学倶楽部/『世界の「美女と悪女」がよくわかる本』/PHP研究所
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